台湾ぶらぶら旅 〜その13・故宮博物院〜
2012年 10月 08日
世界4大博物館の一つで、歴代中国皇帝のコレクションを収蔵する中国文明の殿堂。
今回の、台湾観光の目玉です。
なぜ、台湾に故宮(宮殿)の財宝が台湾にあるかというと、最後の王朝である清が倒された後、中華民国政府がその膨大な財宝を受け継ぎ、その後紆余曲折を経て、その後、国民党政府が内戦で敗北し台湾に渡った時に、一緒に海を渡ったからなのです。
(超省略形の説明で、失礼いたします)
現在、台北にある収蔵品は62万点ほど。
2013年には、台湾中部嘉義に分院ができるそうですし、現在北京に残っている文物も相当数あります。
と、考えると、歴代の皇帝がコレクションしていた宝物が、いかに膨大であったかが想像できますね〜。
故宮関連の記事はコチラ➡ 北京故宮博物院200選
朝一番に慌てて、やって来たのは、訳があります。
本土からのツアー客の後になってしまうと、混む・
日本も3連休でしたが、前半の2日間は中国の国慶節の連休と重なっていたので、観光客が多いと想定し、あえて旅の最終日に、満を持してやって来ました。
タクシーで、美術館前に着いた時には、開館時間の8:30ちょっと前で、すでに大型バスが横付けされていたので、彼らを出し抜くべく、記念写真を撮っている横をすり抜けて、走って入り口に向かいました。
ふぅぅ〜💦
展示は、青銅器、陶磁器、書、絵画、玉器、彫刻・多宝格のカテゴリーに分かれているのですが、3階から順番に下へ下りて行くとなんとなく、時代順に見られます。
石の自然な色合い・風合いを生かして、清廉潔白の象徴・白菜に、子孫繁栄の象徴・キリギリスを彫ったもの。
翠玉巧彫の最高傑作とされます。
清朝末期の皇帝・光緒帝の妃、瑾妃の寝宮にあったことから、お嫁入り道具の一つであったと言われているそうです。
瑾妃といえば、同じく光緒帝の妃であった妹珍妃が、義和団の乱の際に皇帝一家が紫禁城から脱出するどさくさで、井戸に投げ込まれて謎の死を遂げた逸話は、浅田次郎氏の小説『珍妃の井戸』にもなっています。
豚の角煮そっくりに彫られた、肉形石。
天然石の特徴を上手に生かして、赤味と脂身、表面には毛穴まで再現されているんです。
この小さな玉器や、陶器・木彫の置物は、いったいどうやって使われていたのかしら?と不思議に思っていたら、恭親王府に置かれていた家具が置いてある展示室で、紫檀の飾り棚に飾ってありました。
広い広い宮殿で、書斎や寝室などの私的な空間に、好きなものを飾って、楽しんでいたんですね。
最も有名なのが、清の最盛期に乾隆帝が作らせた、この"竹絲纏枝番蓮多宝格円盒"
ミニチュアの玉器や絵画、巻物など27点が、小さな棚に収められています。
この棚、丸めると円筒状、開けば屏風型値、反転させると四角柱状になります。
他にも、象牙の精巧な彫刻などなど、中国の造形技術の高さは、本当に感嘆します。
書画はあまり造詣が深くないので、ふぅんって感じで見ておりました。
もちろん、どれも素晴らしかったです。
乾隆帝の時代に活躍したイタリアの画家・郎世寧(ジョゼッペ・カスティリオーネ、円明園を設計)の描いたものが見られなかったのは、ちょっと残念。
またいずれの機会に。
周代の青銅器展、"赫々たる宗周-西周文化特別展"開催中。
ツアー客の集団が近づいてくると、騒音とたくさんの人の気配に追い立てられるようで、駆け足で回りましたが、なかなか見応えがあって、素晴らしい博物館でした。
最後に、もう一度、白菜と肉形石を見て満足。
正面の本館、第一展覧エリアの他、別館に第二展示エリア(別料金)があるのですが、本館だけでお腹いっぱいって感じです(笑)
青銅器の鼎は、国家の君主や大臣などの権力の象徴なのだそうです。
門に掲げられているのは、孫文揮毫の「天下為公」の文字。
「天下は為政者のものではなく、国民の為のもの」の意味で、故宮が開かれた博物館であることを示しているのだそうです。
残念!!
本日、帰国日なのであまり時間もなく、市内までタクシーで戻ることに。
博物院前で待っているタクシーは、ぼったくりが多いというウワサを聞いてドキドキしていたんですが、大丈夫でした。
北京市の中心、中山まで15分程。
近い、近い!