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屋根をかける人

日経夕刊のコラムを連載している、作家・門井慶喜さんの作品。

布教のため来日し、奇しくも、建築家として日本各地に作品を残し、メンソレータムで知られる近江兄弟社などの事業を起こしたウイリアム・メレル・ヴォーリズの生涯を描いた作品。



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ヴォーリズは、明治学院のチャペル同志社大学のアーモスト館京都の四条河原町の東華菜館など、たまたま行きあった、なんだか妙に心惹かれるなぁ、と思っていた洋館を設計した人物。

建築を専門に学んだのではなく、もともとは、行きかがり上、見よう見まねで、絵を描くようにデザイン、設計したというのですから、自ずと個性がにじみ出ていて、それに惹かれたのかもしれません。

元々、キリスト教の布教との繋がりで、教会やYMCAなどの宗教関連の施設ばかり設計していたヴォーリズが、個人邸宅を設計する機会になった、大阪の事業家・広岡浅子との出会いは、朝ドラ"あさが来た"にも描かれていました。
(ヴォーリズは、浅子の娘婿・広岡恵三の妹、一柳満喜子と結婚)


逆境にも負けず、とにかく前は前へとアグレッシブに向かう生き方、晩年には、戦後の天皇制の継続にも一役かったとありました。

いいなぁ、爽やかな生き方。
彼の作品を、もっともっと尋ねてみたくなりました。













by saguaro2 | 2017-04-07 13:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
目黒不動の後、夫が麻布十番の善福寺へ行きたいというので、三田線で移動。



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"学問のすゝめ最中"



三田から、慶應の北側を抜けて、



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イタリア大使館

やけにお蕎麦の香りがするなぁ、と思ったら、すぐお隣に、



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"蕎麦宮下"

"暗闇坂宮下"の系列店でしょうか?



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突き当たった長〜い塀は、



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綱町三井倶楽部





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三井倶楽部お向かいのこの建物は、地図にも何にも記されてないけど??



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その左手にも、昭和モダンな建築物。
こちらは、もう使われてないみたい。



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信号を渡って、ニノ橋方面へ坂を下っていくと、モダンなオーストラリア大使館。



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"三田共用会議所"

中央省庁が、共用で使っている会議所だそうです。



その北側はお寺が続いています。




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気になったのは、この和洋折衷な感じの"龍源寺"



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代々木体育館か??
というデザインの"円徳寺"



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お隣にはステキなカフェが。




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ニノ橋の交差点に到着。



麻布十番に入ったところで、知合いに遭遇。
お忙しそうだったから、挨拶を交わした程度ですが。
どこで、誰にお会いするかわかりませんね。




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"善福寺"に到着

文永の役で亀山天皇の勅使寺になって以来、勅使門と呼ばれていますが、幕末にアンベール著の日本誌にも描写されていますが、オリジナルは、戦災で焼けてしまったとのこと。




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ご本堂




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日米修好通商条約が結ばれたあと、アメリカの公使ハリスが最初に赴任したのが、この善福寺なのだそうで、記念碑が建っています。

水戸浪士の焼き討ちなどにあいつつも、明治8年に居留地へ移るまで、使われました。



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本堂の屋根にかかる桜の木。
咲いてます。
今度こそ、ソメイヨシノかしら?














by saguaro2 | 2017-03-20 16:37 | 東京散歩 | Trackback | Comments(0)

@群馬県館林市

夫の実家の最寄り駅ではないのですが、滞在中、レンタカーを借りた関係で、帰りは東武伊勢崎線館林駅から。

江戸時代は、徳川将軍家ともゆかりの深い館林藩で、のちに将軍となった綱吉とその子徳松が藩主だった時代は、御三家に次ぐ家格として25万だったこともある城下町。
(藩主徳松の健康回復を願って行われた行事が、のちに全国に広まり七五三となったそうです)

明治以後は、製粉や紡績などの産業で栄え、ちょっとモダンな感じのする建物が残っていたりします。


実は、ちゃんと観光したことって、ないんですが。


駅に隣接した土地に、2012年に日清製粉創業の地に作られた、"製粉ミュージアム"があります。


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工場事務所として使われていた洋館。
ミュージアムの本館として使用されているようです。



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最新の製粉技術や小麦の文化史など小麦に関することをテーマにした企業ミュージアムです。
小麦の製粉体験や小麦年度を使ったワークショップなどが行われているようで、なかなか楽しそう。
綺麗に整備された日本庭園もいいし。

時間があったら、寄りたかった・・・



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東武線の伊勢崎線・佐野線・小泉線の3路線が乗り入れている館林駅。

駅舎は、1937年(昭和12年)に竣工した木造の駅舎。
「しゃれた模様の窓がある洋館風の駅舎で小規模ながら歴史を感じさせる駅」として、関東の駅百選にも選ばれています。


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りょうもう号に乗っていると線路脇に見えるレンガ作りの工場など、歴史を感じさせるこんな建物が、あちこちに残っています。


地方の街にありがちで、駅前はあまり活気がある、とは言えないのですが、地元民と思われる人々が次々と車で乗り付けて賑わっているのが、"花山うどん"
かなり前に一度うどんを買ったことがあると記憶していますが、隣接してお食事処もありました。

こちらの"鬼ひも川"という、きしめんより太いうどんが、"うどん天下一決定戦2015"で、三連覇を成し遂げたとのこと。
麺はもちろん、丼のデザインでもかなりインパクトのあるシロモノだったので、今度是非訪問したいと思います。


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館林といえば、文福茶釜のお寺として知られる"茂林寺"(境内は、信楽焼の狸の置物だらけだったと記憶する)それから、"つつじが岡公園"のツツジで有名な街

マンホールの蓋は、たぬきとツツジ柄。
こういうカラフルなデザイン、けっこう珍しかも〜。








by saguaro2 | 2015-11-23 11:08 | TRAVEL around JAPAN | Trackback | Comments(0)
イオラニ宮殿、2階へ

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1階が公的なスペースであったのに比べ、2階は、プライベートなフロアです。


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カラカウア王の寝室



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往時の写真が展示されています。

王国が崩壊した後、宮殿内の家具や調度品、絨毯、カーテンなどは競売にかけられ、宮殿は、1969年までの約75年間、行政部の事務所として使用されました。
その後、長い修復工事を経て、1978年に歴史博物館として一般公開されました。
散り散りになった調度品等は少しずつ買い戻されていますが、現在戻ってきたのは、4割ほどなのだそう。



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カラカウア王の執務室


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ホノルル最古の電話が取り付けられています。



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ロイヤルファミリーが集い、演奏や作曲などを楽しんだ音楽室、"黄金の間 the Gold, or Music Room"


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リリオウカラニ女王が作った"ALOHA OE"など、いくつかの有名なハワイアンソングは、王家の人によって作られました。



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カラカウア王の妻、カピオラニ王妃の寝室


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ハワイ王国最後の女王・リリウオカラニが幽閉された寝室


カラカウア王の時代、すでに閣僚のほとんどが白人で構成され、末期を迎えていたハワイ王国ですが、1891年に王が病死し、その妹・リリウオカラニに王位が移ると、王権を回復するために新憲法の発布を計画。しかし、1893年1月、これを阻止しようと白人が起こしたクーデターが王国崩壊の引き金となり、白人勢力は新政府を設立しました。


1895年、リリウオカラニ女王が8ヶ月もの間、幽閉されたのがこの、
ベッドと最低限の家具だけという殺風景な2階の寝室です。



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失意の中で、女王が作ったキルトが展示されています。

その後、女王は"王座の間"で裁判にかけられ、一般市民として余生を送ることになりました。



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一度宮殿を出て、裏手の階段から、"地下ギャラリー"へ



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厨房、食器室、執事やメイド、掃除係など宮殿で働く人々の部屋を再現した地下を見学できます。
鳥の羽で作ったマント、勲章や王冠、宝石などハワイ王国ゆかりの品々も展示されています。



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ハワイ王国の栄華を象徴する華やかな宮殿ですが、カメハメハ大王のハワイ諸島を統一から約100年間、王国の最後の舞台となった歴史に思いを馳せ・・





by saguaro2 | 2015-10-15 22:45 | 2015 HAWAII | Trackback | Comments(0)
ランチの後は、ダウンタウンへ

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1810年にハワイ諸島を統一して、王国を築いたカメハメハ大王の像

ハワイのそれぞれの島が別の統治を受ける状況では、その後、西洋の圧力にされされてハワイが分裂していた可能性もあり、カメハメハ大王による統一は、大変大きな功績です。

現在、ハワイに4カ所ある像のうち、一番有名なのがこのアリイオラ二・ハレ(司法ビル)前にあるカメハメハ大王像。
毎年6月11日の"カメハメハ・デー"は、大王の功績を記念する祝日で、大王像にレイをかけてお祝いするそうです。

ハワイには何度か来ていますが、この有名な像を観たのは初めて。
(もしかしたら、初めてハワイに来た時に、市内観光で観たかも? 記憶なし・・)



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そのカメハメハ大王が見つめる先、お向かいにあるのが、"イオラニ宮殿 ’IOLANI PALACE"



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1882年、ハワイ王国第7番目の王で、最後の君主となったカラカウア王によって建設されました。
1893年に白人によるクーデターにより、8代目の女王リリウオカラニ(カラカウアの妹)の王維が剥奪されて、王国が崩壊するまでの11年間、公邸として使用されました。


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建物は、アメリカン・コンポジット(総合アメリカ様式)、アメリカン・フローレンティン(アメリカ・フィレンツェ様式)とも称される様式で、施工中に全くタイプの異なる3人の建築家が採用されました。


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宮殿お隣の旧宮殿兵舎、イオラニ・バラックスで、チケットを購入

1日1回、日本語による20人限定のグランドツアー(要予約)が行われているそうですが、出たとこ勝負なので予約してあるハズもなく(笑)、セルフで回れるオーディオ・ツアーにて。

iPhoneサイズのタブレットを操作しながら回るのですが、説明もたいへんわかりやすく、自分のタイミングで回ることができるので、なかなか良かったです♪


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見学は、宮殿の裏玄関から。
係の方に希望言語を伝え、オーディオツアー用のタブレットを渡されて、簡単な説明を受けます。
床に傷をつけないように、靴カバーをします。



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ハワイ王家の紋章のメダリオン



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それでは、内部へ♪



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1階中央の"グランドホール Grand Hall"
吹き抜けにして造られた光あふれる明るい空間です。
壁面には、ハワイ王国歴代の王・女王の肖像画が掛けられています。



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公式行事に使われた"正餐室(食堂) State Dining Room"
地下の厨房から料理を運ぶためのエレベーターも設置されています。



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ハワイで初めての水洗トイレも。



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正餐室のお隣は、"青の間 Blue Room"
小さな歓迎会や音楽会などに利用されました。



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"王座の間 Throne Room"


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重厚な絨毯やカーテン、ゴールドの調度品で飾られ、盛大な舞踏会やパーティが開かれました。



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電気が発明されて間もなく電気設備が導入された為、どの広間にも豪華なシャンデリアが設置されています。
トイレや料理運搬用のエレベーターなど、当時まだバッキンガム宮殿にもなかった最新の設備が取り入れられていました。





by saguaro2 | 2015-10-15 22:11 | 2015 HAWAII | Trackback | Comments(0)
日本を代表するホテル、"ホテルオークラ東京"の本館が、8月一杯で営業を終え、建替工事に入るということで、出かけて来ました。



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高度成長期の1962年に完成したオークラ本館は、建築家の谷口吉郎を筆頭に、当時の建築・デザイン・工芸・美術のトップランナーを集めて建造された、日本モダニズム建築の傑作と言われ、特に海外から高い評価を受けている建物です。



銀座線の虎ノ門から、徒歩数分。
この界隈、用事がある時しか足を踏み入れないエリア。
休日は、お店も営業していなくて、歩いている人も、車さえまばら。

なので、キョロキョロ♪



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讃岐は丸亀藩主・京極高和の屋敷内にあった"金刀比羅宮"
江戸城裏鬼門の位地にあり、江戸城の鬼門除けの神として、現在は"虎ノ門琴平タワー"の一角に鎮座しています。

社務所が、ビルの1階にあるところが、面白い。



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昨年(2014年)6月にオープンした、"虎ノ門ヒルズ”
都道の上に建つ高層ビルとして、話題になりました。

そういえば、まだ1回も行ったことないなぁ



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突然、ビルの下に、昔の消防車が置いてあったりして、なんだろこれ?と思ったら、"日本消防会館"

1階部分が展示室のようになっていたのだけれど、ググっても、上の"ニッショーホール"の情報しか出てこない・・またいつか、よく観てこよう。


これまた建替工事中の"虎ノ門病院"前の坂道を上ります。


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"ホテルオークラ東京"に到着♪



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正面玄関へはまだまだ坂道を上らなくてはいけないので、宴会場入り口から中へ。



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高貴な花として日本人に愛されてきた藤の花をモチーフにしたライト
ガラスの壁は、木桟の長短で、たなびく霞が表現されています。



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どっしりした面持ちの宴会場ロビー

確かに、今時の建物に比べると天井が低いけれど、これはこれで、重厚感があって、素敵だと思う。



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宴会場入り口は1階ですが、正面玄関は5階です。

いくら天井が低いとはいえ、そんなに高低差あるのね。



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改めて、正面玄関から



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菱づくし文様に囲まれた外壁、軒回りの鱗文の陶板など、伝統的な和の意匠が随所に施されていて、美しい外観✨



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ランタンのやわらかな光に包まれた本館ロビー



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"オークランタン"と呼ばれる象徴的な照明は、古代の切子玉形を連ねた形



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エントランスのざわめきが届かないように、少し低くなったメインロビ−

"ホテルのロビーは、どんな場所より静かでくつろげる場所ではならない"ーという、創業者・大倉喜七郎氏と開業当時の社長・野田岩次郎のこだわりによるものだそうです。



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麻の葉門の木組スクリーンから、やわらかな光が差し込みます。

正面壁面は、蘭をモチーフにした四弁花の舞う、屏風形の装飾壁。
色絵磁器の第一人者である富本憲吉(人間国宝)が制作した壺の"四弁花"文様を、西陣で絹のつづれ織りにしました。



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渡り廊下から見渡すと、漆塗の円卓を5脚の椅子が囲み、満開の梅花のように配されているのがわかります。



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エレベーターも、味わいあります



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我が国最初の私立美術館として大正6年にオープンした"大倉集古館"

当初の建物と、収蔵品の大半は関東大震災で焼失し、現在の建物は昭和3年に再建されたもの。
築地本願寺や一橋大学の兼松講堂など、独特な作風で名高い近代建築の巨匠・伊東忠太の設計です。

こちらも、本館と同じく建替の予定。



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建替工事中も現状営業を継続する、別館



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新しいホテルは、東京五輪直前の2019年春にオープン予定です。

高さが200メートルの高層棟と、80メートルの中層棟の2つのビルで構成される予定。
客室数は550室で、現在の400室より150室増え、高層棟にはオフィスも入居する大型複合施設になる予定。

次に訪れた時は、お隣の虎ノ門病院も高層ビルになって、すっかりこの辺りも様変わりしていることでしょう。



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行きとは、違う方面へ坂を下り、メリカ大使館。
テロ警戒中ということで、通行も規制されていました。

渡米前に、ビザをとる為に来ているのですが、ほとんど記憶に残ってません。
(あの頃は、忙しかったからなぁ・・・)
身分証明書をお財布ごと忘れてきて、もしや、中に入れてもらえないかも??と、焦ったという不名誉な記憶しか残ってません。
幸いにも、荷物検査だけで、身分証明書の提示は求められませんでしたが。



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遅くなってしまったので、赤坂インターシティの"響"でお食事しようと思ったら、土日営業していないとのこと。
残念。



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結局、サントリーホールを抜け、アークヒルズサウスタワーの"さんて寛"にて、お好み焼き♪
(この辺り、ビルがくっついていて、どこからどこまでがどのビルかよくわからない)
大阪の"きじ"系列のお店です。

大阪のお好み焼きゆうたら、やっぱり"スジ焼き"でしょう〜♪

お隣の外国人が食べていた、"すき焼きうどん"??、なんかすごいボリュームでしたw
by saguaro2 | 2015-08-23 20:50 | 東京散歩 | Trackback | Comments(0)
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京都御苑の"今出川御門"から出ると、



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目の前は、同志社大学今出川キャンパス

ピンぼけだけど・・



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お邪魔してみます♪



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重要文化財に指定されている"有終館"



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とっても素敵なキャンパス



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こちらも重文の"クラーク記念館"



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こちらも・・・って、全部重文じゃん・・・の"ハリス理化学館"



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創立140周年記念の展覧会開催中ということでしたが、祝日はお休みでした



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食堂やラウンジのある"明徳館"



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れんが造りのチャペルとしては日本最古の、"同志社礼拝堂"(重文)



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重文の"彰栄館"



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敷地は、元公家屋敷だったとみえ、こんな遺構が



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地下鉄の今出川駅入り口



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今出川通りに面した、和歌の家で著名な"冷泉家"住宅

座敷・台所・台所蔵・御文庫・表門が重要文化財に指定されており、京都でも唯一の公家住宅の遺構です。



今出川御門の交差点まで戻り、相国寺方面(北)へ。

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W.M.ヴォーリーズが設計した、"アールモスト館"

宣教師として来日したヴォーリーズ、メンソレータムで有名な近江兄弟社の設立に携わった他、明治学院大学の礼拝堂、麻布霊南坂教会、山の上ホテル、京都では河原町の東華菜館、大丸京都店などを設計しました。


それでは、相国寺へ〜♪
by saguaro2 | 2015-05-27 13:22 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
SMART COFFEEで朝ご飯の後は、寺町通を御所方面へお散歩。

"寺町通"は、京都市を南北に走る通りの一つで、南は、五条通から、北は紫明通まで。
三条通から北は少し東にずれていて、真っ直ぐではないのが特徴的。

三条以北は平安京の"東京極大路"にあたり、もとは都の東端の大路でしたが、右京の衰退や相次ぐ戦乱等によって京都御所が移転してきたため、現在は京都御苑の東を限る通りとなっています。
1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉による京都改造によって、通りの東側に寺院が集められたことから、"寺町通り"と呼ばれるようになりました。
本能寺もこの時、現在の中京区元本能寺南町から、この通りに移されました。



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御池通を渡り、京都市役所。



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御池通から、丸太町通にかけては、落ち着いた商店街が並びます。
今回、魅力を発見した地域♡



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"一保堂茶舗"

まだ早くて、開店準備中。



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囲碁"本因坊"発祥の地


寂光寺の塔頭"本因坊"に住まいしていた僧侶の日海は, 信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く,江戸幕府が開かれると, 徳川家康の命によって寺を弟子に譲り,本因坊算砂と改名して幕府の碁所を任され、江戸に屋敷を拝領しましたが、その後も,寺町の本因坊を本拠として, 春に江戸へ下り,年末に京に戻る暮らしをしていたといわれます。



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"皮堂"、"行願寺"

行円上人を開祖とする天台宗の寺院です。

子を孕んだ母鹿を撃ち殺してしまったことを悔やんだ上人が、常にその皮をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖と呼ばれていたことから、このお寺も"皮堂"と呼ばれるようになったといわれています。



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京都御苑の森が見えてきました。



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平安時代に無実の罪をかぶり、非業の死を遂げた貴人の方々の怨霊を祀る、"下御霊神社"
疫病流行や天変地異は、この怨霊によるものと考えられ、それを鎮める為に御霊が祀られました。

当初、御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれますが、その後各地を転々とし、豊臣秀吉によって、この地に移転しました。



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本殿は、寛政年間に、仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれます。



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京都御苑、南東の端にやってきました。



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しばらく、行くと、右手に、"同志社 新島会館"



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雨がポツポツ降ってきました。
そんな時に限って、突然、SDカードがいっぱいに!!
も少し早めに、予告ってないのかしら〜???



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新島襄と八重の旧邸です。

毎週 水・土・日曜日に公開されているようです。



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同じく寺町通沿いの、"京都市歴史資料館"
時間に余裕があれば、こういう小さな施設をじっくり廻ってみるものいいですね。



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京都御苑東側の、"寺町御門"が見えてきました。
by saguaro2 | 2015-05-24 15:03 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)

信長からの手紙展

永青文庫で開催中の、"信長からの手紙"展を観てきました。

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永青文庫所蔵の細川家文書のうち、織田信長の発信した文章59点が公開されています。

殆どは、祐筆による代筆なのですが、直筆もあり。
信長の筆致は、力強く大胆。

内容によって、"天下布武"の朱印と黒印を押し分けていたり。
秀吉のことを"猿"と記していたり。
年も近い、細川藤孝(幽斎)を信頼し、節句の贈り物のやりとりしている様子なども伺えて、興味深い。


永青文庫は、旧細川邸のお屋敷の一隅にあります。


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馬の背で強風吹き荒れる目白通りを東へ。
田中邸、日本女子大と通り過ぎ、見えてきた門は、"和敬塾"

1955年(昭和30年)、旧細川侯爵邸の約7000坪の邸宅敷地内に、前川製作所の創立者・前川喜作氏によって設立された、公益財団法人の男子学生寮。
村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』に出てくる寮のモデルになったことでも知られています。

私有地なので、ホントは勝手に入ってはいけなかったのですが、敷地内から永青文庫に繋がっていると勝手に思い込み、お邪魔してしまいました。

広い敷地に、5、6棟の建物が建っています。
大学付属の寮とは違い、いろんな大学の学生が住んでいるので(多分・・)、いろんな人と交流できて楽しそう。
こんなところで、学生生活を送ってみたかった。



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和敬塾本館
細川家第16代細川護立侯により1936年(昭和11年)に建てられた、旧細川侯爵邸。
結婚式が行われていました。



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和敬塾本館は、月に1、2回の公開されているようなので、また改めて訪問したいと思います。



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和敬塾の東門から出て、すぐのところに、"永青文庫"の入り口



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"永青文庫"は、肥後熊本54万石の細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しています。
1950年(昭和25年)、侯爵16代護立公によって、細川家に伝来する文化財の散逸を防ぐ目的で財団法人として設立されました。



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建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたものです。



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大名庭園の名残のこんなものも。

敷地内には、細川家17代護貞邸のがあり、現在は別館として一般公開され、カフェもあるようですが、時間がなく、今回は寄れませんでした。


企画展の他に、4階の新しい展示室では、細川家に伝わる甲冑や、昭和に入ってからのコレクションなどが展示されています。
近衛家の牡丹紋や鍋島家の杏葉紋などの入った、塗りの長持ちから、大名家の豪奢な婚礼の様子が想像されて、とても興味深く拝見しました。
by saguaro2 | 2015-02-15 16:39 | 東京散歩 | Trackback | Comments(0)
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インブリー館



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明治学院が白金に開校した時に、教鞭をとる宣教師たちのために建てられた住宅、4棟のうちのひとつ。
1889年(明治22年)年頃に、当時のアメリカ木造住宅の様式を取り入れて建築されました。
ここに長く住んだW.インブリー博士の名にちなんで"インブリー館"と呼ばれています。
都内に残る宣教師館としは、最古のもので、国内でも2番目に古いものなのだそうです。



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外部は、下見板張りと言われる外壁仕上げで、特に軒に近いあたりで手の込んだ張り方になっています。



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内部へ



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部屋ごとに異なるデザインの寄木板張りの床で、一階の部屋は白い漆喰壁とワニス塗の落ち着いた雰囲気。



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2階の部屋は黄色い漆喰壁と雲母紙張り天井の華やかなもの。

記念館と同じく、1964年(昭和39年)に、国道1号線の拡幅のために現在地に曳屋されました。



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この日は、大学祭の開催中。
賑やかでした。

建物の写真を撮っていたら、写真部に勧誘頂きました(笑)



明治学院を出て、白金高輪駅方面へ。

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"清正公前"の地名の由来になっている、"覚林寺"
加藤清正の位牌や像が祀られていることから"清正公(せいしょうこう)"と呼ばれ。勝負祈願の寺として信仰を集めているそうです。



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国道を左へ折れ、"シェラトン都ホテル"へ。
ちょっと、お手洗いをお借りしました。

都ホテルと提携しているのは、"ウェスティン"だと思い込んでいたのですが、それはどうやら京都の話で、東京はシェラトンなのでした。
場所によって、提携先が違うのね。



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さすがに、昔ながらのホテルは公共スペースがゆったりしていて、いいですね。
しばし、お庭を眺めながら休息させて頂きました。

そして、中国料理"四川"の看板を見ているうちに、そういえば、前夜の"チューボーですよ“は担々麺だったなぁ、と思い出し、担々麺を食べに行ったのでした(笑)
by saguaro2 | 2014-11-08 16:45 | 東京散歩 | Trackback | Comments(0)

サワロのつぶやき♪2 ~日本橋生活~より改題しました。


by saguaro2