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上野の国立科学博物館で開催中の、ラスコー展に行ってきました。

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子供の頃、洞窟を発見した子供達の話を読み、暗闇に浮かび上がる壁画のくだりのところだけが、やけに記憶に残っていたのですが・・一体、何をどこで読んだのか、まったく記憶になし。

穴に落ちた犬(ロボ)を探して、子供たちが洞窟を発見したというエピソードは、フランスでは有名で、本になって読まれているそうです。



会場を入ってすぐに展示されているのが、洞窟の模型。
こんなに、大きくて長い洞窟とは、知りませんでした。


本物のラスコー洞窟は、現在保護のため、研究者でさえ入ることができず、詳細復元されたlascauxⅡを見学できるのだそうです。

そして、さらに、この展覧会用に、現在の科学の粋を集めてlascauxⅢが、会場に復元されています。


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身廊に描かれた"黒い牝牛"
2メートルもある大きな絵です。


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ライトで、隠れた線が浮かび上がります。



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泳ぐ鹿

2mの高さに描かれていて、梯子を使って描いたのではないかと推測されています。




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背中合わせのバイソン

2頭のバイソンが交差しているところが描かれていますが、手前のバイソンを濃く、奥のバイソンを薄く描き、遠近法が使われています。
明るい赤い毛の色から、春に描かれたことがわかるんだそうです。


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鳥人間など、謎がいっぱいの"井戸の場面"


クロマニョン人の描写力、デフォルメ力、ものすごく迫力があります。


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洞窟内で発掘された道具などから、クロマニョン人の生活が推測され展示されています。




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面白かった♪



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1931年(昭和6年)に竣工した、ネオ・ルネサンス様式の本館(日本館)
小倉強設計

空から見ると、飛行機の形をしているんだそうです。












by saguaro2 | 2017-02-11 16:31 | 東京散歩 | Trackback | Comments(0)

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"猿沢池"の南に広がる、旧市街"ならまち"

その歴史は、奈良時代に平城京の外京として整備されたことに始まります。
794年、平安京の遷都以後平城京の多くは風化してしまいましたが、外京は国家鎮護の仏教寺院が多くあったため、町を維持することができました。
その旧市街の南側4分の1程度が、元興寺の境内を中心とする"ならまち"界隈です。

江戸中期になると、猿沢池界隈が、お伊勢参りの宿場町として栄え、明治期から昭和時代には、ならの商業の中心地となります。
戦後、近鉄奈良駅周辺が発展するとともに、地域が落ち着いて、閑静な住宅地に変貌していきました。

1980年代に入り、若者が中心となって町づくりが始まり、現在は、古い町家をいかした個性的な店舗などに変わって、町が賑わいを取り戻しています。





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この格子は、古いものというより、バリとかのものを町家に合体しているのかしら?



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モダンなお蔵の、登録有形文化財の建物。




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格子の美しい町家。





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南都七大寺の一つ、"元興寺"
日本最初の本格的仏教寺院・"法興寺"が、平安遷都に伴い、蘇我氏の氏寺から官大寺に性格を変え、飛鳥から奈良へ移転して、元興寺となりました。

奈良時代には、東大寺・興福寺と並ぶ大寺院でしたが、中世以降衰退して、ならまちの極楽寺本堂と禅室(春日影向堂)に分かれました。


 
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1998年(平成10年)、ユネスコの世界遺産「古都奈良の文化財」の一つとして登録されています。



元興寺も外から見ただけだし、ならまちのお店も覗きたかったし。
心残りですが、お時間ですので、このへんで。




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ホテルへ戻り・・




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昼間のホテルは、お客様が出払っていて、また違う表情。




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バーの外で、ゆっくりとくつろぐ大人のカップルもいますね。



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自転車を返し、荷物をとったら、駅へ向かいます。




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近鉄奈良駅前の商店街(ひがしむき商店街)で、お土産と柏餅を買って、車内で食べました♪

ひがしむき商店街の名前の由来は、すぐ東側、断崖の上が興福寺の境内になっており、興福寺にお尻を向けないように、通りの西側だけにお店が作られたからだそうです。



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東寺の五重塔の五重塔が見えて来ました。
まもなく、京都駅です。



今回も、慌ただしい旅行でしたが、2泊3日、京都・奈良を堪能しました。
長々と綴って来た旅行記もこれにて終了です。

お付き合いありがとうございました。














by saguaro2 | 2016-10-06 15:55 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
自転車に乗って、再び興福寺へ。

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南円堂

手前の礎石は、廻廊があったところでしょうか。
ただいま興福寺は、中金堂を再建中で、若干、工事現場的な殺伐とした感じ。




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八角円堂の”南円堂"

813年(弘仁4年)、興福寺を氏寺とする藤原氏の中でも、摂関家として力を強めた北家の祖・藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建立しました。
構築の際に、地鎮のために、和同開珎や隆平永宝を撒いたことが発掘調査で明らかになっています。
また、この儀式には弘法大師空海が深く関わったと伝えられています。

現在の建物は、4度目の建物で1789年(寛政元年)に再建されたものです。





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堂内には、いずれも国宝の、不空羂索観音菩薩像、四天王像が安置されます。





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北円堂 特別開扉中♪




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こちらも八角円堂の、"北円堂"

日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されています。

興福寺の創建者・藤原不比等の一周忌にあたる721年(養老5年)に、元明太上天皇と元正天皇が創建しました。
伽藍の中では、西の隅に位置していますが、ここからは平城京を一望のもとに見渡すことができる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰めるのには最良の場所でした。
(現在は、樹が伸びて見られないようで、タモリさんは中金堂の足場から展望していました)

現在の建物は、平安末期に被災して、1210年(承元4年)に再建されたものです。

堂内のご本尊・弥勒如来、法苑林・大妙相菩薩像・無著・世親菩薩像、四天王像(いずれも国宝)が安置されています。


国宝の宝庫・興福寺、全国宝の12%を所有しているんだそうです。





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奈良を象徴する、興福寺の"五重塔"

730年(天平2年)
730年(天平2年)、不比等の娘である光明皇后が創建しました。





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南円堂の方へ戻り、急〜な階段を下りて、猿沢池方面へ

もちろん、自転車を降りて降りましたが、なかなかの握力を必要としました。




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断崖下から見る、南円堂

ブラタモリでやっていた通り、興福寺を境に、断崖になっています。
思えば、天皇のいらっしゃる平城京を見下ろす高台に氏寺を建てるなんて、不遜ですね〜、藤原氏。
それだけ、摂関家として勢力を誇っていたということですね。





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そして、その断崖下にひっそりと建つ"三重塔"

実は、興福寺には何度も来ていますが、五重塔の存在しか知りませんでした。

1143年(康治2年)、崇徳天皇の中宮が創建しましたが、1180年(治承4年)に被災し、鎌倉時代に再建されました。
北円堂と共に、興福寺最古の建物です。
高さは、19.1m


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この五重塔と三重塔、8月26日〜10月10日、開扉しています。

いいぁ〜。見たい♪



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猿沢池の畔を走り、"ならまち"方面へ向かいます。








by saguaro2 | 2016-10-06 15:47 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
多賀神社のお隣の、"藤浪之屋"にて、本来は、2月の節分と8月14・15日に行われる“万燈篭神事"を再現しています。


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灯籠に灯がともって、とても幻想的な美しさ。



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灯を入れることで、灯籠の細工の細やかさが際立ちます。

この世ものではないような美しさに、しばし時を忘れます。


お社中の、3000基もの灯籠に一斉に灯が灯ったら、さぞ美しいことでしょう。




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内侍門か、清浄門から外を覗いて撮った写真。

左手に見える建物が"酒殿"で、春日祭に必要な神酒を調整するところです。
殿内には、お酒の神さま、酒弥豆彦神と酒弥豆売神が祀られています。

この左手には、神饌を調整する"竈殿"もあります。



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宝庫と西廻廊の間を抜けます。



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一段高いところに、中門が見えます。




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現在、神さまが仮にお住まいになっておられる御仮殿参拝所



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大きな御神木は、何の樹なのだろう?



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直会殿の屋根に、樹がめり込んでいるところが、いかにも自然と共存する春日大社です。




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お節句なので、菖蒲の花が挿してあります。




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鹿の形の絵馬。


後で知ったのですが、おみくじも、鹿の形をしているそうです。




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直会殿のお隣には、鎌倉時代に近衛家から献木されたと伝わる"砂ずりの藤"の古木があります。





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藤の花の季節だからか、巫女さんたちが、前髪に藤の簪を挿しているのがとてもステキだったのですが・・

写真を撮らせてくれとも言えず・・チャンスもなく・・




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今年のJR東海のキャンペーンのポスターが、春日大社だったので、このアングル狙ってたんですが・・

中門前のこの位置に、藤の木ありませんでした。


プロの技ですな・・




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廻廊外に出て・・




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阿倍仲麻呂の歌碑が。

この歌に詠まれていた"みかさやま"って、"御蓋山"のことだったのね、と開眼。

恥ずかしながら・・百人一首の取り札"みかさやま"としか、記憶してませんでした。


遣唐留学生として唐に渡り、科挙に及第して、玄宗皇帝にも仕え出生した仲麻呂ですが、再び日本の土を踏むことなく亡くなります。
かの地で、思い出す故郷の風景は、御蓋山の風景だったのですね。





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紅葉の青が朱に映えて美しい。




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風に揺れる藤の花を撮るのは、なかなか難しい・・




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行きに通った参道ではなく、近道を通って、二の鳥居へ。



時間があれば、若宮や萬葉植物園も回ってみたかったのですが。
また次回に。


再び、自転車に乗って、興福寺へ〜♪





by saguaro2 | 2016-10-06 14:36 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)

春日大社といえば、この美しい朱の色彩。
どこの神社よりも朱く、艶めいており、美しい輝きを放っています。



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創建以来、神殿を彩って来た聖なる色彩です。
朱は、古代から神々が宿るといわれた炎の色で、特に本殿のものは格が違うそうです。


神社などで使われている"朱"には、"本朱"と"鉛丹"(エンタン)の二種類があり、一般的にお社で使われているのは鉛丹で、オレンジっぽい色合いをしています。

最上級の朱である"本朱"は、顔料の水銀朱ににかわを入れて練ると、鮮やかな朱の色になります。
縄文時代から使用されて来た、日本最古の朱の色です。
濃さや温度、混ぜ方で色が変わる繊細なもので、1時間以上練ると趣のある深い朱になるそうです。

その美しい本朱ですが、経年劣化が早く、黒ずんで輝きを失うのも早い為、多くのお社で使われなくなりました。
輝きを保つのは、約20年。
春日大社では、20年の式年造替で、永遠の輝きを保っているのです。




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そして、その朱に、連子窓の緑と、まわりの木々の緑が映えて、あざやかなコントラストを描いています。




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社殿の軒下に吊された"釣燈篭"は、約3000基。

昔から、奉納されたもので、中には、徳川の5代将軍綱吉のものや、戦国時代の武将藤堂高虎の名前が入ったものもあります。

年に2回、2月の節分と8月のお盆の"万燈篭"の時に、全ての灯籠に火が入り、それはそれは幽玄な情景なのだそうです。




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春日大社は、ご神体の御蓋山の山裾の斜面に建っている為、斜面に切土をしたり、盛り土をしたりして神地を造成できないため、なんと!斜めの地面に建っているという不可思議な建物なのです。
南廻廊でいえば、南門から右(東)へ、最初は3℃、6℃、最大9℃の傾斜がついているそうです。

写真の東廻廊が、南へ向かって下り坂になっているのがわかるでしょうか。

その為、廻廊の連子窓は、長方形ではなく、平行四辺形という不規則なかたち。
それを実現しているのは、いうまでもなく、宮大工の卓越した技術によるものです。




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南門東側の、桜門から、廻廊の外へ出て、東廻廊の外側へ。

ここは、山藤の名所です。



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ちょうど、ご本殿の外側にあたる位置にある"御蓋山浮雲遥拝所"

奈良時代のはじめ、平城京守護の為、貸間の武甕槌命が白鹿の背にお乗りになり、天降られたところが御蓋山の頂上浮雲です。




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768年(神護景雲2年)、ご本殿が創建される以前に、神奈備(神霊の宿る領域)として崇められ、以来1000年以上、現在まで、禁足地として、手つかずの原生林が残っています。

世界の先進国で、都市部に原生林が残るのは、御蓋山だけなのだそうです。


万葉集の、小野老朝臣が奈良の都の美しさを詠んだ歌、
 
 あおにより 寧楽の京師は 咲く花の
 薫ふがごとく 今盛りなり


"あおによし"は、奈良(寧楽)にかかる枕詞。"あお"は緑青、"に"は朱のことで、まさに春日の大社の情景。
古典の授業で、ただただ丸暗記していた単語が、ここへきてようやく生きて私の前に出現したかのようです。

小野老が、昇進して太宰府へ赴き、奈良の都で見た花(梅か桜か?)の情景を詠んだ歌なのだそうですが、いまさかりの藤の花をイメージしてしまった私です。



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さて、東廻廊の"影向門"から、いまいちど廻廊内へ。




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奉納されたばかりの釣燈篭でしょうか。
雨風にさらされないと、こんな色合いなのですね。



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御本殿の真後ろにあたるお庭・後殿には、災難厄除の神さま方が、たくさん祀られています。

後殿は、明治維新以来長く閉ざされたままになっていたそうですが、今回の式年造替を機に、約140年ぶりに開門されることになったそうです。





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写真は、延命長寿の神さまで、仕事の完遂をお導きになる"多賀神社"

延命志望はあまりないのだけど、仕事の完遂は、ぜひともお助け頂かなければ・・








by saguaro2 | 2016-10-06 12:21 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
朝食に茶粥を頂いた後、ずいぶん時間が経ってしまいましたが・・


朝食の後、自転車に乗って、春日大社へ。

初♪電動アシスト付自転車。
後から、誰かに押してもらっているように、グイグイ前に進みます。
快適♪♪


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一の鳥居前の交差点。



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重要文化財の一の鳥居。
春日大社の玄関です。
寛永期に建てられたもので、高さ6.75mもあります。
古くは、興福寺との境界に建てられていたのだとか。

広島の厳島神社、福井の気比神社の鳥居と並んで、"日本三大木造鳥居"の一つとされます。



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ここから、二の鳥居まで、約1.5kmの参道が続きます。
春日大社の境内は、東京ドーム220個分という、広大なものです。

緩やかな上り坂なので、電動アシスト付で良かった012.gif



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シカさんたち、おはよう〜♪

まだ、お休みモードみたいですが・・



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二の鳥居。

平安の貴族たちは、ここで牛車や馬から降り、車舎に繋いで、祓戸神社で身を清めてから鳥居をくぐったそうです。

古の倣いにしたがい、車舎の裏に、自転車を停めました。



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1998年(平成10年)、古都奈良の文化財として、春日大社と春日山原始林が世界遺産として登録されています。



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二の鳥居をくぐって、左手にある"祓戸神社"

平安中期の1006年(寛弘3年)には、お祀りされていたとされる古社です。
春日祭の祓戸の儀は、このお社前で行われます。



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デザイン的に、かなりのインパクトの、伏鹿手水所。
鹿は、神さまのお使いなので、いろいろなところでモチーフに使われています。

ここで手と口を清めて、ご本殿へ♪



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石灯籠が立ち並ぶ参道




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石灯籠は、約2000基あります。



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神社正面の楼門"南門"

高さ12mで、春日神社では最大の門で、重要文化財です。



春日大社は、およそ1300年前、奈良に都が遷された頃、平安京鎮護の為に、国譲りを達成された最強の武神である"武甕槌命"(タケミカヅチノミコト)を、遠く鹿島神宮から、神山御蓋山の浮き雲峰に奉遷したのが始まりです。
やがて、天平文化華やかな768年(神護景雲2年)に、称徳天皇の勅命に寄り、御蓋山の中腹、現在本殿が建つ場所に四棟の神殿が造営されました。




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南門左右の"南廻廊"

ご本殿の周りをぐるりと囲む廻廊は、全長で160m程もあり、優美で厳かな雰囲気を醸し出しています



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南門をくぐって正面の"幣殿"と"舞殿"
859年(貞観元年)建立の、重要文化財。

東側2間が"幣殿"で、天皇陛下のお供え物である"御幣物"を一旦納める建物で、天井板は号天井となっていて、舞殿と区別されているそうです。
3月13日の春日祭で、勅使が御祭文を奏上します。
西側3間を"舞殿"といい、お神楽を行うための建物です。

通常は、参拝所として用いられています。





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幣殿から先は、"林檎の庭"と呼ばれる広い空間で、ココから先は特別参拝になります。

大きな樹の左手に見えるのが、"直会殿"
こちらも、貞観元年の建立で、重要文化財です。

春日祭の折に、勅使以下が直会の儀を行うところから、"直会殿"と呼ばれ、中世には法華八講が行われていました。
毎日の朝拝はこの御殿で行われています。

以前は、神職の方のみで行われていたそうですが、遷都1300年を記念して、参加できることになったそうです。
毎朝9時から、30分程。
もうちょっと早く出かけてくれば良かったなぁ〜。






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幣殿のある場所より、少し高いところにある、"中門"

ご本殿の直前にある楼門で、約10mの高さがあり、左右に御廊が伸び、寄りが羽を広げたような優美な姿をしています。




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この先は、国宝の4つの本殿が建つ、春日大社の最も神聖な場所で、皇族や神職しか立ち入ることはできません。

4つ並ぶお社には、それぞれに神様、右(御蓋山側)から、第一殿・武甕槌命、第二殿・経津主命、第三殿・天児屋根命、第四殿・比売神が祀られています。


今年は、20年に一度の式年造替にあたっており、本殿を始め、鳥居に至るまで、建物を建替えたり修繕したりする年です。
神様は、現在移殿(御仮殿)にお住まいで、11月6日本殿遷座祭(正遷宮)が執り行われて、新しくなった本殿に遷られるそうです。










by saguaro2 | 2016-10-06 12:06 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
三月堂、四月堂ときて、少し高いところにある・・

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"二月堂"

旧暦2月に"お水取り"(修二会)が行われることからこの名があります。
二月堂は、1180年の平重衡の兵火、1567年の三好・松永の戦の東大寺がみまわれた2回の戦火には焼け残りましたが、1667年(寛文7年)に、お水取りの最中に失火で焼失し、その他2年後に再建されたのが現在の建物です。
建物は2005年12月、国宝に指定されました。



階段を上りながら振り返ると・・・

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絶景〜♪♪



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なかなかの急階段を登りきりました^^;



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本堂は既に閉まってしまっています。

釣燈篭が美しい。

ご本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏です。



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大仏殿な屋根と、その奥に広がる平地は平城京かな。

ブラタモリで言っていた通り、本来、長方形だった平城京の東北へはみ出た部分"外京"が、高台になっているのが、よくわかります。
藤原氏は、この高台を利用して、興福寺を建て、権威を示すのに利用したのだとか。



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少し休憩して、さっきの階段とは反対側の階段廻廊を下ります。



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下から見上げた二月堂



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ここからたくさんの炎が降って来たら、美しいだろうなぁ。
いつか、お水取り観に行ってみたい。



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三月堂の方面へも戻り、少し行くと"手向山八幡宮"前に出ました。


東大寺の守護神として、749年(天平勝宝元年)に、宇佐八幡宮より勧請された、八幡宮からの分社第一号の神社です。

手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が
 
 このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

と詠んでいます。
(有原業平の竜田川の句と、しばし混同しているワタクシです)



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若草山前をサイクリング〜♪

柵で囲われているのね、知らなかった。



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水谷神社の前を通り、春日大社方面へ



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春日大社二の鳥居


本当は、今日中に春日大社に行きたいと思っていましたが、明朝に。
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春日大社参道の途中に建つ、奈良国立博物館仏教美術資料研究センター


この洋館は、1902年(明治35年)竣工、奈良県物産陳列所として、奈良県下の殖産興業と物産の展示販売をおこなう施設として利用されました。
構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されているそうです。
イスラム風の意匠の、窓がなんともステキ♪




歩いている時は、平面に見える二の鳥居から一の鳥居までの参道、実はゆるやか〜な下り坂。
殆ど自転車を漕がなくても進んでいきます。

・・ということは、明日ここを訪れた時は上り坂ってこと?!

で、ホテルに戻って、すぐ、明日の自転車を電動アシスト付に変更してもらいました(笑)



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五十二段の階段上から・・

"猿沢池"

一度、近鉄奈良駅へ戻り、明日の切符を買いました。



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で、再び同じルートを戻って、"菊水楼"

1892年(明治24年創業)の奈良老舗料亭です。

いいなぁ。すてきだなぁ。
一度、お食事してみたい。

リストに追加しておこう。

やりたいことをリストにして書き出しておくと、いつか叶う、と杉山愛ちゃんが言っていました。
(もちろん、愛ちゃんは努力家ですが・・)

by saguaro2 | 2016-09-14 22:27 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
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ようやく御朱印をいただき、ヨレヨレになったところで、大仏殿の西に位置する、"戒壇堂"へ。



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"戒壇"(かいだん)とは、僧侶として守るべきことを確かに履行する旨を仏前に誓う厳粛な儀式"受戒"の行われる神聖な場所です。
受戒を受けて初めて、正式な僧侶として認められます。

日本に仏教が伝わったのは538年ですが、その際に伝わった戒律はまだ不完全なもので、税逃れの為に出家し私度僧の蔓延する堕落したものでした。
その後、唐より鑑真が招かれ、日本に初めて戒律が伝えられ、仏教界の規律が整うことになりました。

754年(天平勝宝6年)、鑑真は、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武天皇・光明皇太后・孝謙天皇はじめ440人余に授戒を行ないました。

翌年、東大寺に日本初の正式な授戒の場として"戒壇院"が建立されました。



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創建当時は、戒壇堂・講堂・僧坊・軒廊・廻廊などの伽藍を備えていましたが、江戸時代までに3度の火災で焼失
現在の、戒壇堂は、1732年(享保17年)に再建されたものです。


堂内は、中心に木像の多宝塔を安置し、東西南北に四天王を安置しています。

四天王は、もと銅像のものでしたが、いまなはく、現在の四天王は東大寺内の中門堂から移したものといわれています。
塑造で、天平時代の傑作と、国宝に指定されています。



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再び、大仏殿の前へ戻り、"真言院・観学院"



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真言院境内の中に勧学院が同居する形になっていて、土塀の南門が真言院の表門、東門(上の写真)が勧学院(下の写真)の表門となっています。

勧学院は、821年開創、盛衰を経て、真言院の灌頂堂を受けて現在の勧学院となり、東大寺の諸々の講座を開講しています。



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810年、東大寺別当に就いた空海が建立した"南院(真言院)"
822年に灌頂道場を開いて、真言院を開創したといわれています。

空海の在任は4年間でしたが、この真言院が南都での真言宗拠点となったといわれています。



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再び、自転車に乗り・・



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若草山方面へ

なかなかの上り坂です。



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大仏殿の屋根が見えます。



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奈良公園一帯に生息している 鹿は春日大社の神使で、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられています。
それゆえ、古くから手厚く保護され、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けたと言われます。



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基本的には餌付けされていない野生による繁殖で、野生鹿として国の天然記念物に定められています。

その数、約1200頭。

自動車との接触事故も多く、中には遠征の末、踏切での電車との接触事故も起きているとのこと。
近在の農地を荒らし農作物の被害の他、柵や網を超えて庭に入ったりと、付近の住民との攻防戦は絶えません。

以前、春日大社の近くの宿に泊まったことがありますが、かなり高い柵も軽々と飛び越え、鹿が現れた時は、大変驚きました。

自然動物との共存・・難しい問題です。



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若草山の麓に建つ、"法華堂"、別名"三月堂"。

東大寺建築のなかで最も古く、国宝に指定されてます。
寺伝では東大寺創建以前にあった"金鍾寺"の遺構とされます。

旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。



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もとは寄棟造りの正堂(天平時代)と礼堂(鎌倉時代)が軒を接して建つ配置でしたが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して2棟を繋ぎました。




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"法華三昧会"が旧暦の4月に行われるため、一般に"四月堂"と呼ばれる"三昧堂"

重要文化財の本尊"千手観音"や"阿弥陀如来像"が安置されているそうなのですが、時間がなく、概観だけを拝見しました。

(御朱印で時間をとられなければ〜)
by saguaro2 | 2016-09-14 22:00 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
拝観料をお支払いして、廻廊の中へ。


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大仏殿が身近に見えます。

写真では、伝わりにくいかもしれませんが、本当〜に大きい!!

正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1mと、世界最大級の木造建造物です。

創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建されました。
現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、国宝に指定されています。



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大仏殿のすぐ前にある、国宝の金銅八角燈籠。

基本的には、奈良時代の東大寺創建当初のもので、総高は464cm。
8面ある"火袋"のうち、東西南北の扉面には獅子が、その他の4面の羽目板には、音楽を奏でる"音声菩薩"が浮き彫りにされています。

4面ある羽目板のうち、当初のものが取り付けられているのは、西北面・西南面の2面で、東北面の羽目板は、1962年に盗難!!に遭い、周囲が破損したたため、現在は複製品が取り付けられているそうです。
文化財も受難ですね・・



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毎年、大晦日から元旦に、正面唐破風下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができるそうなので、いつか拝見してみたいものです。



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それでは、大仏殿へ。

一昨年は、台風接近のため時間がなくて入れなかったし、いつ以来かなぁ?
20年近く前に結婚式で奈良に行って以来でしょうか?



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東大寺大仏殿のご本尊である"奈良の大仏さま"、もちろん国宝の"銅造盧舎那仏坐像"
高さ約14.7mの大きな坐像です。

聖武天皇の発願により、745年に制作が開始され、752年に開眼供養会が行われました。
戦禍のため、2回焼失・再興されてきました。
奈良時代に制作された部分は、台座・右脇腹・大腿部などの一部で、頭部は江戸時代、体部の多くは鎌倉時代に補修されたものです。

制作当時は、前身が金で覆われていたというのですから、あたりを払うような輝きに満ちていたことでしょう。



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大仏さまの足元にある台座の"蓮弁"
繊細な線刻は、華厳経の世界を表しています。



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蓮の花ひとつとっても、見上げるサイズ。



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大仏さまに向かって左側、脇侍の"虚空蔵菩薩坐像"

大仏様があまりに大きいので、小さく見えますが、710cmもある大きな木像です。

虚空蔵菩薩は無限の知恵を持つとされ、記憶力がアップする功徳があるのだそうです。



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大仏様を横からみたところ。

大仏様を、美男と句に詠んだのは与謝野晶子だったか・・と調べてみたら、鎌倉の大仏様のことでした。



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北西の護り、"広目天立像"



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創建当時の、大仏殿の模型。

江戸期再建時に、柱材が調達できず、芯となる槻を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした為、創建時の建物より間口の狭いものになりました。

いまでも眼を見張る程大きな大仏殿。
創建時は、この1.5倍のサイズだったというのですから。
天平時代の人は、さぞびっくりしたことでしょう〜w(°o°)w


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背後から光背を見たところ。



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大仏さまの左手の実物大の模型。

以前、近鉄奈良駅のビル内にあった"なら奈良館"で展示されていたものとのこと。
その当時は、掌の上で記念写真を撮れたりしたそうです。

仏様の手のひらの上で、転がされてみたかった???



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実物大鬼瓦、鴟尾



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北東を護る"多聞天立像"

ふつう、四天王は、東を持国天、南を増長天、西を広目天、北を多聞天"が護りますが、大仏殿では、残りの2躯は頭部しか残されていません。



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大仏さまに向かって右側に位置する"如意輪観音坐像"

像高722.5cmと、左の虚空蔵さまよりもわずかに大きいのですが、やはり、大仏様と比べると、小さく見えてしまいますね・・。



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大仏殿を一通り見学したところで、納経所で御朱印を頂こうと思ったのですが・・・

も、ものすごい行列。


窓口は、いくつもあるのに、軽く30分以上は並んだでしょうか。
明朝早く来て、御朱印だけを頂く、とも考えましたが、帰りの新幹線が早く、あまり余裕がないので、とにかく今日中に貰い受けることに。

御朱印・・密かなブームとは聞いてましたが、これ程とは。
よく見たら、外国人も参戦しているではないですか〜。





















江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そのため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。
by saguaro2 | 2016-09-14 20:44 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)
7月に更新して、ホテルにチェックインしたままになってました・・

前回の記事はコチラ➡京都・奈良 2016初夏 〜その11・奈良ホテル〜

しつこいようですが(笑)、引き続き細々と更新して参ります。
GW京都&奈良旅行。




今回の宿泊プランは、レンタルサイクル付、ということで、ホテルのフロントで自転車を借り受け、お出かけします。
ひとところにスポットが集中しているとはいえ、奈良公園の広さはなみなみではないので、効率よく観光できるはず。

ホテルから、奈良公園方面はほぼ下り坂なので、スイスイです♪


春日大社一の鳥居を少し過ぎたところから、公園内へ。


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奈良国立博物館前を通り過ぎると、若草山が見えて来ました。
(自転車はストップしないと写真がとれないところが、不便だなぁ〜)



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東大寺の南大門。

天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は、鎌倉時代に再建された貴重な遺構で、国宝です。
1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)に、門内に安置する仁王像とともに竣工しました。


国宝の仁王さま、金剛力士像。
高さ8.4m、日本最大の木造の像です。

2年前、高野山の帰りに奈良へ寄った時は、修復中でお留守でした。

その時の記事はコチラ➡1199年目の高野山へ 〜その23・東大寺〜



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左に、口を開けた阿形像



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右に口を閉じた吽形像

この配置は、通常とは逆なんだそうです。


金剛力士は、仏の知恵で煩悩を消し去る"金剛杵"という武器を持った、仏教の守護神です。
金剛杵は、金剛=ダイヤモンドも打ち砕けるほど硬く、金剛力士はこれを使って仏敵も倒します。

金剛力士像の"阿形""吽形"は、それぞれ、サンスクリット語の初めの音"ア"、終わりの音"ン"で、"世界(宇宙)の始まり"と"終わり"を表しているとされます。



子どもの頃、東大寺南大門の金剛力士像は"運慶、快慶の作"と習った気がするのですが、1988年から1993年に行われた解体修理とその後の研究で、その常識は少し変わってきているそうで・・

現在は、運慶は指揮官で、阿形像は快慶、吽形像は湛慶・定覚などが彫っというのが定説のようです。



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南大門は、入母屋造、五間三戸二重門ですが、下層には天井がなく、腰屋根構造となっています。
屋根裏まで達する大円柱18本は、21m!!
門の高さは基壇上25.46mもある、わが国最大の山門です。



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南大門を抜けると、大仏殿が見えて来ました。



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近づけば近づく程、その大きさに圧倒されます。



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"鏡池"には、遣唐使船。

よくこんな小さな船で、日本海を超えたものです。
天候は運任せの出たとこ勝負。
まさに命がけの使命です。



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大仏殿の楼門、朱塗りの中門です。
江戸時代、1716年(享保元年)ごろの再建と考えられ、国の重要文化財に指定されています。



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門の隙間から、大仏殿が見えました。

入り口は、廻廊左手です。



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中門前に自転車を停めて、中へ入ります。

シカさんたち、ちょっと失礼しますよ。
by saguaro2 | 2016-09-13 22:43 | 京都・奈良 | Trackback | Comments(0)

サワロのつぶやき♪2 ~日本橋生活~より改題しました。


by saguaro2