カテゴリ:東海道( 6 )

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国道1号線へ戻り、松並木を西へ。



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街道の名残の残る道です。

やはり、町並みや、松並木、石垣など、街道の名残が残っていると、歩いていても楽しい♪



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この辺りからは、明治の政界や財界人の別邸が並ぶ地域。

明治18年に陸軍軍医総監松本順氏が、海水浴場として大磯を推薦して以後、宿場としての昨日を失いつつあった大磯は、保養地、別荘地として再び賑わいを取り戻すことになります。



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伊藤博文の邸宅"滄浪閣"蹟



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そのお隣は、地図によれば、西園寺公望別邸



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滄浪閣の横の小道を海方面へ行くと、公園になっていました。


国道へ戻り、さらに西へ。

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旧吉田茂邸。

サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた兜門で、別名"講和条約門"


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吉田茂が、昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。



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母屋は、総ひのき造りの数寄屋風建築でしたが、2009年3月に全焼。
現在、再建計画が進められています。



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■七賢堂
伊藤博文が、自身の邸宅"滄浪閣"に、明治維新の元勲のうち、岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った"四賢堂"を建てたものに、伊藤博文の死後、夫人により伊藤博文を加えた5人が祀られ"五賢堂"となりました。
戦後、吉田茂邸に移設され、西園寺公望を合祀し、さらに、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって吉田茂が合祀され、"七賢堂"となりましたった建物。

兜門やサンルームとともに、焼失を免れた貴重な建物です。



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海を臨む眺望の良いところにたつ、吉田茂像。
日米講和条約締結の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けているといわれています。



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日が沈みます・・



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大磯駅からも離れてしまったので、どうせなら次の駅二宮まで歩くことに。



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日本橋から71km。
平塚から9kmほど歩いたことになります。



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街道沿いの神社。

今日は、鏡開きなので、大磯の左義長だけでなく、神事が行われているようです。



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日が暮れたあたりから、急激にスタミナが切れ、足に疲れが。
途中のベンチに座り込んでしまう程、くたびれてしまいました。
足の指の打撲のため、ホールド力のない、ムートンブーツで歩いていたのも良くなかったと思います。

時間にすれば、30分ちょいの道のりでしたが、大磯プリンスに泊まろうか・・とか、タクシー呼ぶ?とか、いろいろ考えてしまったり、。
あまりのツラさに、途中で遭難するかと思いました(笑)

二宮駅に着いたら、駅前で足裏マッサージしよう・・と夢想していたのですが、休日夜の二宮駅前、お店も少なく寂しい感じ。
おとなしく、電車に乗って、藤沢経由小田急で岐路についたのでした。


江戸時代の人は、朝日本橋を発ち、ほとんどは戸塚辺りで一泊。
男性の足なら、二泊目は小田原というのですから、昔の人は本当によく歩いたんですね。

次回(いつになるかわかりませんが)は、いよいよ、江戸を出て初めての城下町・小田原です。
by saguaro2 | 2015-01-11 23:57 | 東海道 | Trackback | Comments(0)
大磯の海岸は、古くから、"小淘綾の浜"(こゆるぎ)と呼ばれ、万葉集にも詠まれた歌枕の地として知られていましたが、西行がここで「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだことで、いっそう名勝としての名を高めました。

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"鴫立庵"


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国道沿いなのに、突然こんな景勝地。



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"鴫立庵"は、江戸時代の初期に、小田原の崇雪という人物が西行の旧跡を偲んで、"しぎたつさわ"という標石を立て、草案を結んだのが始まりで、



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その後、俳諧師の大淀三千風が入り、庭園・庵室などを整え、俳句道場"鴫立庵"としました。

京都の落柿舎、滋賀の無名庵と共に、日本三大は俳諧道場の一つとされ、"鳥が啼くあづま路"には珍しい風流な建物、と言われました。



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敷地内には、たくさんの歌碑や墓碑が並んでいて、私のような無粋ものには、何が何やら。

ここで一首詠んで、投稿できればいいんですけれど。



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鴫立庵の場所は、崇雪の立てた碑にちなんで、"湘南発祥の地"と言われています。



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大磯町役場の横から、海へ



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かつての景勝の地も、いまは"西湘バイパス"で分断されてしまっています。



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バイパス下をくぐり、砂浜へ



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おおっっ ロングビ〜〜〜チ!!!!



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引き潮ですが、なかなかに波が高い。



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本日、18:30点火で、"左義長"という火祭りが行われるということです。

正月飾りを集めたサイトの火で、お団子を焼いて頂くそうです。



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海岸は風が強く、体力を消耗するので、この辺で。
by saguaro2 | 2015-01-11 23:35 | 東海道 | Trackback | Comments(0)
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江戸見附を過ぎて間もなく、国道1号線に合流。



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振り返ったところ



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国道南側のこの祠の傍らに、



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虎御前の成長とともに大きくなり、後に曽我十郎が工藤祐経に矢を射かけられた時に、身代わりに矢が立ったという、"虎御石"の案内。



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祠の横を入っていくと、"虎御石"の伝説で有名な"延台寺"

虎御前が、晩年に隠棲した場所とも言われています。



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結局、虎御石はわからなかったのですが、境内にはいろいろな伝承の碑がありました。



再び、街道を進むと、
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右側に、"問屋場"蹟。
現在は、駐車場です。



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現在お蕎麦屋さんになっている、"本陣"蹟。



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島崎藤村夫妻のお墓のある"地福寺"



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大きな梅の老木があり、梅の季節はさぞや、と思われる境内ですが、



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いまは、蝋梅が咲いていました。

このお寺の裏手は、"エリザベスサンダーホーム"にあたり、その向こう側が大磯駅です。



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再び街道へ戻り・・・



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老舗らしい鰻屋さん



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和菓子屋さん



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またしても謎の分かれ道。
1号線は右側ですが、おそらく、角張っていた街道をスムーズに通したもの。



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"南組問屋場"蹟



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謎の道。(おそらく、旧道)



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本道へ戻らず、しばらく国道の脇道を歩いていくと、こんな風流な場所に出ました。
"鴫立沢"です。



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ここを左手へ行くと、海。
日本最初の海水浴場、"照ヶ崎海水浴場"です。
by saguaro2 | 2015-01-11 22:40 | 東海道 | Trackback | Comments(0)
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"たまや"から50m程戻り、旧道との分かれ目へ。
ここからが、"化粧坂"



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化粧坂に入ってすぐの、老舗のお蕎麦屋さん



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大磯は、鎌倉時代の東海道でも宿駅にあたっており、化粧坂は、鎌倉の御家人たちの遊興地として有名でした。

「曽我物語の」曽我十郎の恋人・虎御前も、化粧坂の白拍子であったと言われます。
大磯は、「曽我物語」ゆかりの地なので、街道を歩くと曽我兄弟や虎御前の伝説があちこちに残っています。



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"化粧坂の一里塚"の案内



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松並木が続きます。



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大磯八景の碑

"大磯八景"は、明治40年頃、大磯町第5代町長の宮代謙吉が大磯の名所8カ所を選んで絵はがきを出版したのがはじまりです。



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東海道線をくぐります。



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地下道を通り、



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反対側へ。

松並木が続きます。



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この松がある辺りが、



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"江戸見附"蹟



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by saguaro2 | 2015-01-11 22:00 | 東海道 | Trackback | Comments(0)
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大磯町へ入り、国道1号線を西へ。



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広重の絵にも描かれていた、花水川にかかる"花水橋"を渡ります。

昔は、この辺りに桜が多数あり、散った花びらを浮かべて流れるので、花水川という美しい名前がついたそうです。



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北の方には、丹沢山地が見えます。



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高麗山。

この辺りからの眺めが一番美しい。
高麗山には、昔、高句麗の王族・高麗若光が移り住んだという伝説があるそうです。



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"善福寺"

仇討ちで有名な「曽我物語」の曽我十郎の子・祐若と、恋人・虎御前が、創建したと伝わるお寺。



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江戸時代を彷彿とさせる茅葺き屋根のお家。



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このあたりが、江戸から66km



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高麗山の麓の、"高来神社"

若光の大磯上陸の様子を彷彿とさせるお祭りがあるそうです。

神社奥には、高麗山への登山口があり、標高170mの山頂から、尾根伝いに八俵山を経由して湘南平(千畳敷)まで道が続いています。
トレッキング帰りとおぼしきグループをいくつか見かけました。

八俵山には、虎御前が恋人・曽我十郎亡き後に庵を結んで隠棲したという伝説があります。



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大磯の下水のマンホール。
デザインが凝ってます。



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そろそろおなかがすいてきたので、"大磯たまや"にてランチ??

地元でも評判の激混みのお店。



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ひたすら待ち続け、ようやく出てきました♪

"プレミアム定食"のお刺身



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いろいろお魚揚げ

新鮮なアジのフライ♪♪♪


お店の手前、二股に分かれていたところで、旧街道を見逃したので、50m程戻り、"仮粧坂"へ。
by saguaro2 | 2015-01-11 21:30 | 東海道 | Trackback | Comments(0)
10年とちょっと前に、東海道を踏破しようと思い立ち、年に数回、宿場〜宿場を1回として、のんびり歩き始めました。
が、途中、アメリカ転勤などがあり、中断。
以後、ずっとそのままになっていました。

記憶の糸をたぐり寄せ・・・

① 日本橋〜品川   2里(7.8km)
② 品川〜川崎    2里18町(9.8km)
③ 川崎〜神奈川   2里18町(9.8km)
④ 神奈川〜保土ヶ谷 1里9町(4.9km)
⑤ 保土ヶ谷〜戸塚  2里9町(8.8km)
⑥ 戸塚〜藤沢    2里(7.8km)
⑦ 藤沢〜平塚    3里18町(13.7km)

ときて、ここで途絶えていたな・・・と。

写真と動画を撮っていたのですが、どこかに紛れ込んでしまい、記録なし。
ということで、記憶をたよりに、平塚から再開することにしました。


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歌川広重 東海道五拾三次『平塚 縄手道』

平塚は、日本橋から62.6km。
東海道第7番目の宿場です。



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平塚駅到着♪



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広重の絵にも描かれた高麗山が見えます。



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駅を北の方へ出て、現在の国道1号線の手前、平塚駅前の交差点を左折。



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現在、商店街になっているところが、旧東海道です。

平塚には、『番長更屋敷』のお菊のモデルになったといわれる娘・真鍋菊と、『加賀見山旧錦絵』のお初もモデル・松田たつのお墓があります。

お菊の墓は、飲屋街の真ん中の公園にあるのですが、ちんぴら?が泥酔してけんかしていたので、近寄れず。



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商店街をはずれたところが、宿場のはじまり。

往時は、ここまで松並木が続いていたのだとか。



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宿場の案内はありますが、建物など、面影はあまり残っていません。



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宿の江戸川の出入り口、"江戸見附"蹟
ここからが宿場です。

町並みは、東西に14町6間(1.5km)、東から十八軒町、二十四軒町、東仲町、西仲町、柳町の5町で構成され、その中に、本陣・脇本陣・東西の問屋場2カ所、高札場、旅籠などがあり、江戸時代を通して200軒超の町並みが続きました。



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市民センターの中庭にあった、平塚の里歌碑。

15世紀に書かれた『平安紀行』の作者が、東海道を京都に上る道すがら、平塚の地 で、この地に隠遁していて没した三浦遠江入道定可を思い起こし、里人にその遺跡、墓所な どを尋ねた所、誰ひとり知る者がなかったので、『哀れてふ たが世のしるし 朽ち果てて  かたみもみえぬ 平塚の里』と詠じたそうです。



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気になる建物。
現在は、市民会館として使われているようです。



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なんとなく街道筋の名残のある街並。



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"脇本陣"蹟



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"高札場"蹟



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"本陣"蹟は、



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現在、銀行。

銀行独自の立派な碑も立っています。



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道が二手に分かれていて、現在の本筋は左なのですが、おそらく右側が旧街道。

櫓の乗った消防団の建物は、



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"問屋場"蹟



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旧街道と思われる道筋は、道幅も広く、古くて立派なお家が並んでいます。



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国道1号線に合流する地点が、"上方見附"蹟



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高麗山がうしろに見え、道が左に折れているこの辺りが、広重が描いた場所でしょうか?
昔は、宿場の外は、あぜ道が続いていたんですね。

絵と同じように、高麗山の右側に小さく富士山が見えます。
絵では、道が右へ折れた先に、花水橋が描かれていますが、少し距離があるので、これはデフォルメされているようです。



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東海道平塚宿碑



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ここから、大磯町に入ります。
by saguaro2 | 2015-01-11 11:25 | 東海道 | Trackback | Comments(0)

サワロのつぶやき♪2 ~日本橋生活~より改題しました。


by saguaro2