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東海道を歩くvol.8 二宮〜小田原 〜その5・小田原城〜


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御幸の浜から戻って、小田原城へ。





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譜代大名であった小田原藩・11万3千石の藩庁、総石垣作りの立派なお城です。




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小田原城が最初に築かれたのは、駿河の豪族・大森氏が小田原地方に進出した15世紀半ばのことと考えられています。
1500年頃、戦国大名の小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として、次第に拡張整備されました。
豊臣秀吉の小田原攻めに備えて城下を囲む、9㎞にも及ぶ総構えを完成させると、日本最大の中世城郭に発展しました。

江戸時代に入り、徳川家康の支配するところとなり、その家臣である大久保氏を城主とし、石垣築くなどの手を入れ、城の規模は三の丸以内に縮小されました。
その後、城主となった稲葉氏の時代に、大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わり、再び大久保氏が上司となってからは、箱根を控えた関東地方の防御の要衝として、譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担いました。

明治に入り、1970年(明治3年)廃城となり、天守閣はじめほとんどの建物が解体され、残っていた石垣も1923年(大正12年)の関東大震災により、崩れ落ちてしまいました。

現在は、本丸・二の丸の大部分と総構えの一部が、国の史跡に指定され、本丸を中心に城址公園として整備されています。








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二の丸正面に位置する”馬出門”

三の丸から二の丸に向かう、正規の登場ルートである大手筋にありました。

1672年(寛文12年)に、馬枡形形式に改修され、江戸時代末期まで存続しましたが、現在のものは、2009年(平成21年)に復元されました。







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石垣と土塀で四角く囲んだ枡形と、高麗門形式の馬出門・内冠木門の二つの門で構成されています。


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それでは、中へ




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馬出門から入った、L字型空間が、”馬屋曲輪”

東側は馬出門、南側は南門を経て、”御茶壺曲輪”から二の丸の表玄関”鋼門”へと至る重要な位置にありました。





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総合管理事務所が建っています。





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そして、右手に、住吉橋を経て、二の丸の表玄関に至る”鋼門”があるはずなのですが、ちょっと急いでいた為、写真なし。




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”鋼門”は、1997年(平成9年)復元されました。





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2016年に、天守閣がリニューアルされています。





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”小田原市郷土資料館”にて、しばし休憩

古代からの出土品から、幕末の宿場町を撮影した写真などの展示があり、なかなか興味深かったのですが、時間がないので、さっと眺めただけですが。






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資料館前には、江戸時代初期の回収時に使用された石垣を切り出した、早川の石丁場に残っていた切り石が展示されています。




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○に”寸”の刻印が残っています。

刻印は、石切を請け負った大名もしくは石工集団を示すという説があるそうですが、詳しいことはわかっていないそうです。




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本来は、鋼門を通って、至るようなのですが・・途中寄り道をしたので、本筋からそれておりました。

本丸に至る”常盤木橋”の下の、”本丸東堀”が見えてきました。
現在は、菖蒲園になっています。






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現在は、このような牧歌的な風景になってしまっていますが、元来は、本丸を堀が囲んでおり、江戸時代の絵図によれば、堀は二の丸堀と繋がっていました。
発掘調査により、本来の本丸東堀の位置が確認され、最も幅があるところでは、20m以上もあることがわかっています。

昭和に入り、城址公園として整備されるまで、元来のお城の姿を全く失ってしまっていたことがうかがえるようです。





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赤い欄干の常盤木橋を渡り、階段を登ると、





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本丸の正門、”常盤木門”

重要な防御拠点である為、他の門と比べても大きな門です。


常盤木とは、常緑樹の意味で、門の傍らには往時から松が植えられ、、また松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえて、小田原城の永久不滅を願い、常盤木門と名付けられたと言われています。





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武器庫でもある多聞櫓と渡櫓門を配し、小田原城の城門の中でも最も堅固に造られていました。

記録によれば、江戸時代初期には設けられ、1703年(元禄16年)の大地震で崩壊した後、1706年(宝永3年)に多聞櫓と渡櫓から構成される枡形門形式で再建されたものが、明治3年の小田原城廃城まで存続していました。

現在の門は、1971年(昭和46年)に再建されたものです。







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常盤木門の2階は、”常盤木門SAMURAI館”として、戦国武将の鎧や打掛などが着られる施設があるようなのですが・・







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手裏剣打ち道場もあります。





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天守閣が見えてきました。

本丸は、東西に83間(約150m)、南北63間(114m)の規模をもち、その西端に天守閣、中央の今は広場になってしまっているところに、本丸御殿が存在していました。
本丸の周囲は、石垣と土塀が張り巡らされており、東南の常盤木門と北側の鉄門が設置され、出入が制限されていました。







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天守閣は、、1703年(元禄16年)の大地震で倒壊・消失しましたが、1706年(宝永3年)に再建され、明治3年の小田原城廃城まで存続しました。

現在の天守閣は、1960年(昭和35年)に、市政20周年を記念して、宝永年間の再建時に作成された設計図や模型を参考に復興された、鉄筋コンクリート造りです。
復興時には、”瓦一枚運動”が展開され、多くの市民から寄付が寄せられました。
2016年(平成28年)に、リニューアルされています。





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石垣からの高さは、38.7m

その上に、1.97mの鯱がのっています。





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それでは、中へ。

正面に斜面が付いていて、階段になっているのですが、石垣の高さは、11.5m
なかなか急です。




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お城が迫ってきました。








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階段を登りきったところ。

地上にいる人があんなに小さく見えます。





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内部は、甲冑・刀剣・絵図・古文書などの資料が展示されています。
折しも、”小田原北条氏の絆”展開催中。





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最上階は、復興時に取り付けられた廻廊が巡らせてあり、標高60mからの眺望が広がります。





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西側の景色、箱根方面です。

ちょうど正面、やや左あたり、白い大きな建物の後ろの鉄塔辺りが、小田原攻めの時に秀吉が築いた”石垣山の一夜城”のあった辺り。





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南は、相模湾、伊豆半島方面。

お天気が良ければ、房総半島まで見ることができるそうです。






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東、常盤木門方面。





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北側には、小田原駅が見えます。






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交通の要所だけに、たくさんの線路が通っていて、なおかつ、道路との立体交差も素晴らしい。

天守閣は、電車の中からもよく見える小田原のシンボルですが、市では、天守閣の高さを基準とした高度規制を行い、天守閣の高さを超える建物の建築を制限し、歴史的な景観を保持して、次代に受け継いでいくことにしているそうです。






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立体はめ込みで、甲冑姿の記念写真を撮り、下城。





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二の丸にある、”歴史見聞館”

二の丸の広場では、馬に関するイベントが行われていたようで、何やら牧草的な香りが・・・





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学橋を渡り、場外へ。

来し方(東海道方面)とは反対の、小田原駅方面へ向かいますが、間もなく、唐突にお堀が途切れ、お堀端にカフェなどが並んでいます。

かつては、二の丸総堀・三の丸総堀・総構堀によって32囲まれていましたが、大多数が埋め立てられてしまったようです。






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お堀端通りをまっすぐ、歩いて行くと、大きな三叉路の突き当たり、そこを左へ曲がるとすぐに駅なのですが、なぜか案内を読み違えて、右へ曲がり、裏通りぐるぐる回る羽目に。

駅前の歌っていた女性に気を取られていたからか・・






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なんとか、横っちょの細い道から、駅前に出ました。






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駅前、こんなに立派な通りだったのに。




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全国津々浦々にいらっしゃるので、あまりどこの土地の方、と考えたことはなかったのですが、二宮金次郎(尊徳)さんも、小田原のご出身なのだそうです。

お城の近くには、報徳二宮神社、報徳博物館もあるそうです。
1787年(天明7年)、小田原市栢山に生まれた金次郎さんは、苦労して学び、農村の救済・復興に力を注ぎ、宇宙にそん沿いするもの全てに備わっている徳を生かす”報徳思想”を実践しました。
尊徳の思想と仕法は、その後、全国各地に継承されていったそうです。





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小田原駅で、食料を買い込み、”小田急ロマンスカー 6000系MSE"で、一路、新宿へ。





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フェルメール・ブルーのボディ

美しい♡





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木を使った内装も、テンションUP⤴︎⤴︎


もともと、乗り物好きだった私ですが、年を追うごとに電車好きに。
これって、一種の子供返りなのか?という気もしないでもないですが・・



2日間に渡り、ようやく二宮〜小田原を踏破。
ようやく、小田原に到着しました。

この先には、箱根の石畳や関所など、旧街道らしい景色が待っているので、また日を開けず、チャレンジしたいと思います。
(この先は、テンポあげてくよ〜!!)


長々と、おつきあいいただいて、ありがとうございました。









by saguaro2 | 2017-10-01 16:31 | 東海道を歩く

サワロのつぶやき♪2 ~日本橋生活~より改題しました。


by saguaro2
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