ホテルのカフェ”前田珈琲”で、トーストの朝食をいただいて、お出かけ。
お散歩がてら、烏丸通を南下します。
”京都国際マンガミュージアム”
一度来てみたいと思っていたところ。
旧籠池小学校の校舎を利用しています。
御池通りを渡ると、山鉾町の風情が。
こちらは、後祭りで登場する”鈴鹿山”の保管場所。
烏丸通沿いの、レトロなビル”新風館”
1926年(大正15年)に建てられた、”旧京都烏丸電話局”です。
複合施設として利用されていましたが、現在は、ビルのみ保存されていて、ホテルとして生まれ変わるのだとか。
楽しみです。
三条通りを右折します。
東海道の起点・終点であった三条大橋から続く、三条通り。
今でこそ、細い道ですが、明治に入ってからも、主要交通路であり、経済の中心地でした。
そのため、明治〜昭和初期に建てられた洋館が、たくさん残っていて、洋館好きにたまらない場所。
1906年(明治39年)、辰野金吾の設計で建てられた、”旧第一銀行京都支店”
2003年に外観をレプリカとして復元する形で新築されました。
レトロなお店も。
お祭りの飾り付けになっています。
もちろん、洋館に並んで、昔ながらの商家も。
三条通りから左に折れて、新町通りを南へ。
この辺りは、”八幡山”の山鉾町。
八幡山は、後祭りなので、これからお祭りの準備が始まる様子。
家々の軒先に、幕が張られている真っ最中。
1826年(大正15年)、室町随一の豪商・四代目井上利助の邸宅として建てられた建物。
現在は、襦袢と町家の美術館、”紫織庵”です。
京都の伝統的な”大塀造”
門を入ると、右手は、ライト様式の洋館です。
現在、明治村に移築保存されている、”旧帝国ホテル”と同じレンガを使っているそうです。
それでは、お邪魔します。
ライト様式の洋館の内部、格天井、寄木貼りの床の洋間です。
240坪の敷地に、茶室、サロン洋館、玄関棟、2階建ての主屋、便所、洋室、2棟の蔵が、コの字型に配されていて、廊下で繋がっています。
祇園祭の最中なので、屏風が披露されていました。
洛中洛外図。
さすが豪商のお宅、豪華です。
祇園祭は、別名、”屏風祭”ともいわれ、各山鉾町の商家などで、表の格子を外して秘蔵の屏風や美術品・調度品などを飾り、祭り見物に来た人々が鑑賞できる、宵山期間中の催しの一つです。
山鉾巡行が”動く美術館”なら、屏風祭りは、”静の美術館”ともいわれます。
澤田瞳子氏の『若冲』の中にも、かの有名な”鳥獣花木図屏風”が、商家の玄関先に飾られていたというくだりがあり、昔から続く屏風祭りの光景を空想したものです。(記憶違い、勘違いかもしれません)
最近では、屏風祭をしつらえるお宅も少なくなって来たようですが、是非とも継続していただきたいものです。
大広間前のお庭
この街中では、信じられないような広さです。
切支丹灯篭も。
御蔵は、2棟あり、北側の大きな方には、道具類や建具類を、小さい方には、日常の使用品や食料品が入れられていました。
主屋2階の、洋間サロン
新町通り側、切妻屋根は茶室で、その右側、ライト様式の洋館の上部は、
なんと!!鉾見台。
御池通から新町通りに入って来た山鉾巡行を、ここで見て、投げられる粽を受け取る為の、プライベート観覧席です。
なんて、ゴージャス!!
是非とも、明日、お呼ばれしたいものです。
豪商の暮らしぶりを垣間見せていただきました。
新町通りを挟んで、お向かいにあるのが、”八幡山”の保管場所。
そろそろ、鉾建ての準備中でしょうか。
山鉾は、各山鉾町が所有している蔵や倉庫にて保管管理されていますが、保管場所を持たない町内のものは、円山公園内にある倉庫で保管されているそうです。
さらに、南へ歩いていくと、”三井両替店旧趾”
三井家は、11家あったそうで、そのうちの一つが、朝ドラの”あさが来た”の主人公のご実家です。
確か、この辺りにあったと聞いたけど。
山鉾が見えて来ました♪