1199年目の高野山へ 〜その19・女人堂 &大阪へ〜
2014年 12月 01日
徳川家霊台から、高野山の街の外側に向かって、緩やかな坂道を登って行くと、高野山の登り口に。
ここから、内側、いままでいたところが、聖域です。
その昔、高野山には、"高野七口"と呼ばれるは七つの登り口があり、1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限されていました。
そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、"女人堂"と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物です。
女人堂のお向かいにおまつりされている、大きな銅製の地蔵尊、通称"お竹地蔵"
建立されたのは、台座の銘文によれば江戸時代の1745年(延享2年)ですが、由来は不明。
明治以降の案内書などに、造像主・横山たけと記されており、ようやく"たけ"さんが登場。
それによると、横山たけさんは、江戸元飯田町の人で、亡き夫の供養にと高野山へお参りし、女人堂で参籠していていると、地蔵尊の霊夢を見て、そこから一念発起して銅像の地蔵尊を供養したのだと記されているそうです。
こちらも、女人堂横に祀られている、"小杉明神社"
その昔、越後の国の本陣宿"紀の国屋"に"小杉"という娘がおり、数奇な人生を送りましたが、お大師様に救われ、尼僧になって、高野山に登って来る女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開き、やさしい接待をしたそうです。
その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされていると言われます。
女人堂で最後の御朱印を受け、バスに乗り、ケーブルカーの駅へ。
車内、ものすごい傾斜です。
途中、スカイツリーと同じ高さの、634mを通過。
往きは、反対側に乗っていたので、見られませんでした。
帰りは、"特急こうや"で、難波まで一気に。
車内で、先ほど購入した、"笹巻あんぷ"(麩まんじゅう)を頂きます♪
歩き疲れた身体に、あんこの優しい甘みが、おいしい〜。
シアワセ〜♡
つづき⇒ 1199年目の高野山へ 〜その20・ラピート&難波はつせ〜