初夏の京都旅 〜その19・南禅寺〜
2013年 04月 29日
「蹴上」の由来は、罪人を蹴り上げて九条山の刑場に連れていったとも、源義経が奥州へ旅立つ際に、ここで見送りに来た人と別れを惜しんでいたら、平家の武者一行が前を横切り、その際に馬の蹴り上げた泥が義経にかかったから、とも言われています。
京都の地名って、面白い。
蹴上は、昔は東海道の京都の入り口。
明治に入っては、琵琶湖疎水の取水口などがあり、いわば、京都の東口にあたる場所です。
琵琶湖疎水は、滋賀県大津市で採取した琵琶湖の水を、京都へ流す為に作られた水路のこと。
水道用水の他、感慨、発電、工業用、水運に使われ、作られた電気は日本初の電車・京都市電を走らせる為に使われました。
発電する為には、水を大きな落差で落とす必要があり、その部分は船が通行不可能となります。
それを解決するために作られたのが、ケーブルカーと同じ原理のインクライン(傾斜鉄道)です。
九条山から蹴上にかけて標高差36m、勾配1/15度の急坂に582mの長さの軌道が敷かれ、台車を上下させました。
三十石船がそのまま台車に乗せられて蹴上船溜と南禅寺船溜を行き来するのは、まさに見物で、当時は弁当を持っての見物客で賑わったそうですよ。
面白〜い。
南禅寺にやって来ました。
臨済宗南禅寺派大本山、山号は瑞龍山、日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつお寺です。
御所の日ノ御門を移した、勅使門。
石川五右衛門の「絶景かな絶景かな……」の台詞で有名な、三門。
実際には、五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築なのですが。
ここからの眺め、特に桜の時期は素晴らしいのですが、階段がコワいので、今回はパス(笑)
まだ早朝なので、人も少なく、静謐な感じ。
法堂は、こたつの火の不始末で焼失し、明治28年に再建されたもの。
と、いっても、かれこれ100年以上は経過していますが。
水が豊かに流れています。
京都は、こんなに水の豊かな土地ですが、琵琶湖から水を引く必要があるなんて、都市の近代化には、どんなに大量の水を必要としているかがわかります。
国宝の方丈前を通過しているのは、水路閣。
琵琶湖疏水の分線にある水路橋、1888年(明治21年)完成。
出来た当初は、きっと賛否両論あったと思われる様式の建造物も、100年以上経った今は、京都の風景の一つ。
背景にしっくりとけ込んでいます。
この水路閣、なぜか、教徒もののサスペンスによく登場すると言われていますが・・・何故だ??
南禅寺と言えば、湯豆腐が有名。
精進料理が起源と言われ、三門前にも何軒かのお店が並んでいますが、またの機会に。
琵琶湖疎水の合流地点。
南禅寺から、蹴上の方へ行かず、まっすぐに。
老舗料亭の"瓢亭"
瓢亭のお隣は、山県有朋の別邸"無鄰菴"
この辺りは、明治新政府が南禅寺から取り上げた土地を開発した跡に建つ、別荘群でも知られています。
三条神宮道の交差点を、そのまままっすぐ。
粟田口へ。
後ろに見える朱塗りの鳥居は、平安神宮です。