安芸の旅 その3 ~岩国の錦帯橋~
2011年 09月 23日
ちょっぴり早起きして(朝食ビュッフェに時間を割いてしまったが・・・)、山口県の岩国へ。
時間的に厳しいかな~悩んだ末、せっかくここまで来たのですから、錦帯橋まで足を延ばすことにします。
広島駅から、岩国までは、山陽本線で1時間弱。
山口県に入って最初の街です。
江戸時代は吉川氏の岩国領でした。
(長く長州藩から認められず、"領"から"藩"になったのは、大政奉還後なのだそうです)
現在は、瀬戸内の工業地帯の一角を担っています。
名物は、錦帯橋と天然記念物の白蛇です。
JRの岩国駅から、さらに30分ほどバスに乗ります。
かつての街の中心は、錦帯橋の周辺、岩国の城下町でした。
こんなレトロなバスや、”宇野千代バス”、"島耕作”バスも走っているハズなのに、乗ったのは普通のバスでした。
(残念!)
錦帯橋が架けられたのは、3代領主吉川広嘉の頃のこと。
岩国城とご城下を結ぶ橋が洪水で流出することが度重なり、洪水に強い橋を、と藩主自ら指揮をとりました。
長さ193.3m、幅5m、高さ11mの、5連アーチの美しい橋です。
完成した翌年に一部が流され再建されたものの、以来276年流出したことはありませんでしたが、1950年(昭和25年)のキジア台風で、惜しくも流出しました。
現在の橋は、昭和の再建をさらに平成に架け替えたもの。
創建当時の組み木の技法で再建されました。
300年近くも架かっていた橋が、たった1回の台風で流されてしまうなんて!
改めて、自然災害や戦火、時代の流れを免れて、古い建物が現在まで残っていることの奇跡を感じます。
東日本大震災でも、流失してしまった文化財や、消えてしまった小山がありました。
精巧な作りは、組み木細工のように美しい!!
橋を渡ると、右手に岩国城が見えます。
吉川広家が築城した山城ですが、江戸時代の一国一城令により、わずか7年で破却されました。
現在の天守は、1962年(昭和37年)に再建されたコンクリート製のものです。
時間がなかったので、橋の上から眺めるだけに。
錦川の水は、とても澄んでいます。
夏の間は、鵜飼いが行われるそうです。
岩国は、巌流島の決闘で有名な佐々木小次郎の生まれた街でもあるのですが、
現在は、橋の対岸(お城側)で、"小次郎商店VSむさし"が
ソフトクリーム対決中。
おせんべいもアーチ型。
ちょっと、かさばりそうだな・・・。
岩国は、ちらし寿司風の押しずし、岩国寿司が有名なのだそうでうす。
ソフトクリームを食べて休憩した後は、また橋を渡って、対岸へ。
橋のたもとに軒を並べるお土産屋さんなのですが、屋根の形がまちまちで面白い。
こういう建築ほうほうなのかなぁ?
それとも、建った年代が違うのか??
再びバスに乗って、岩国駅へ。
いよいよ、宮島へ向かいます!!
行き先の表示は、"広"
何これ???広島の略??
と思って、焦って路線図を見たら、ありました!
広島の先の方に、"広"なる地名。
紛らわしいじゃん!!
他も、"呉"とか"坂"とか、あるんですね・・、
一文字の地名。
関東ではあまり見かけないので、新鮮でした。